国際金融を
を基に学んでいく。
10 国際金融を取り巻く難問
10.1 債務危機
10.1.1 累積債務と債務不履行
必要に応じて外国間で一時的な資本貸借を行なうことは経済厚生の観点から好ましいと考えられる。これは一期間ごとに独立した予算制約に束縛されるよりも異時点間の貸借を許容した長期的な予算制約に基づく方が、より柔軟な予算配分と安定的な消費・投資の推移が可能になることを根拠としている。これは対外貸借が一時的で、その債権債務が必ず履行され、長期的な予算制約が満たされることを前提とする。
しかし債務額が膨大になるにつれ、その履行可能性に疑念が生じ得る。返済期限が到来しても債務を履行できない場合を債務不履行()という。
債務不履行危機は資本の海外逃避()や通貨の暴落などを生じさせる。
10.1.2 途上国の債務危機
一般に発展途上国は国内貯蓄が不足しがちであるため、海外からの投資への依存度が高い。そのような発展途上国に対する貸し付けは、1970年代初めまでは先進国政府や国際機関による公的なものが多かった。それが1970年代半ばからは先進国の民間銀行による貸付が拡大する。当時、実質金利が低水準であったため、途上国側も積極的に借入を行なった。またオイルショックで発生した産油国のオイルマネーが高利率の途上国融資にマネーを流したことなどが背景にあった。
1980年代に入ると世界経済の環境が大きく変化した。米国ではレーガン政権がインフレ対策を前面に打ち出した政策、すなわち
また通貨を共通する同盟国でも財政制度は国ごとに相違・独立しその権限は加盟国の政府に帰属する。そのため財政運営に不安を抱える国が出てくると他の同盟国に波及しやすくなる。
10.1.3 モラル・ハザード
債務危機における最大の難点は、実際に債務不履行を起こした国に対する決定的な対処策が無い点である。ある国が実際に債務不履行を起こした場合、財産の差し押さえや競売を行なうことは困難である。このため普通は当事国や関連国の政府や国際通貨基金(IMF)などの国際機関が債権者と協議・交渉を行い、債務の返済繰延(rescheduling)、債務免除(debt relief)または新たなファイナンスを行なうのが一般的である。しかしこれらの対応は皮肉にも債務危機を誘発する危険性もある。
万が一債務不履行に陥っても政府や国際機関からの保証や協力が確約されているならば、貸借側双方に資本投下リスクを過小評価し得る。これによりハイリスク・ハイリターン投資が積極化されることになる。このように保険・保証があることで被保険者の行動誘因が変化することをモラル・ハザードという。すなわち債務危機に陥った国に支援をしないという選択肢は取り得ない一方でモラル・ハザードが却って債務危機を誘発し得るというジレンマが存在する。
10.2 通貨危機
1980年代の債務危機に陥った途上国で度々見られたように、破綻状態に陥りつつある国や信用力を失った国の通貨は強力な売り圧力を受けることになる。これにより固定相場制度を採用していた国々は平価の切下げや変動相場への移行を取らざるを得なかった。
1990年代になると、決して債務危機に至っているとは限らないアジア諸国において通貨の暴落や減価圧力を受けるようになった。ここから、投機的動機に基づく短期的な巨額の資本流出入が経済に大きな混乱をもたらし得ることが分かった。
10.2.1 通貨に対する投機的攻撃
外国為替市場において特定の通貨、特に固定相場制度を採用している通貨に対して一斉に強力な売り圧力を掛けることは投機的攻撃と呼ばれる。投機的攻撃を受けた場合、通貨当局は外貨準備を用いて固定相場を維持するか、平価切下げまたは固定相場制放棄を通じて対応するかを選択せざるを得なくなる。平価切下げを行えば外貨建て債務を増額することになるし、輸入物価の上昇を通じて物価上昇が強まりインフレーションに苦しむことになり得る。このように投機的攻撃を受けて大幅な平価切下げないし固定相場制を放棄するような事態を通貨危機という。
時期 |
国・地域 |
概要 |
---|---|---|
1982-89 |
1982年8月にメキシコ政府が対外債務支払停止を宣言。途上国の累積債務問題が顕在化 |
|
1990年代前半 |
北欧 |
|
1992-93 |
欧州 |
1992年8・9月に英ポンドおよびイタリア・リラへの投機的攻撃が発生 |
1994-95 |
メキシコ |
1994年12月にメキシコ・ペソの平価切下げが発生し投機的攻撃が発生 |
1997-98 |
東アジア等 |
タイ・バーツに対する投機的攻撃が発生し、諸国への攻撃へと派生 |
1998 |
ロシア |
|
1999 |
ブラジル |
経常赤字や財政赤字下に遭った中でロシア危機の影響 |
2000-01 |
トルコ |
2000年11月、銀行の不正融資疑惑を起点に強い米ドル買い圧力 |
2001-02 |
アルゼンチン |
対外公的債務の一次返済停止が宣言され金融危機 |
10.3 通貨危機のメカニズムI:ファンダメンタルズ
10.3.1 通貨危機の第1世代モデル
通貨当局が外貨準備を減らし続けなければならないような状況にある国はいずれ通貨危機に陥る可能性がある。そこで以下のような通貨危機の第1世代モデルが考案された。
まず自国の貨幣市場の均衡、絶対購買力平価およびカバー無しの利子平価の3つの条件が成立すると仮定すると、
が得られる。ただし生産量はで一定だと仮定した。また利子率以外のすべての変数は対数を取ったものだとする。
ここで第2式を変形してとした上で、貨幣市場の均衡条件(総貨幣需要と総貨幣供給の均衡)の対数を取ったおよびカバー無しの利子平価条件を代入することで
と、もしこの国が変動相場制度を導入していた場合の名目為替レートの均衡値が得られる。しかしこの国は固定相場制度であったから、と一定でこれが維持されている限り、である。外国の利子率および物価が所与であると仮定すればであるから、この均衡レートの右辺第3項は定数でとおけば、
と導出でき、名目為替レートを固定することがマネーサプライを固定することに他ならないことが分かる。。以上をまとめると、
固定相場を維持する中央銀行が、そのバランスシートにおいて負債として貨幣を、また資産側に国内信用残高および外貨準備高を持っていると仮定すれば、マネーサプライは更に
と定義できる。
次に、この国政府が国債発行による拡張的財政政策を続け、通貨当局が政府の発行する国債を引き受けると仮定する。具体的には
とする。このときに固定相場を維持するには、中央銀行は外貨準備を取り崩して市場で需要の無い自国通貨を買い続けなければならない。したがって外貨準備残高は
を満たさなければならず、常に減少し続ける。このように拡張的財政政策を続けながら固定相場を維持することはできず、必ず破綻が生じる。
10.3.2 投機的攻撃のタイミング
もし自国が変動相場制度を採用しているならば、名目為替レートは
に基づき決定づけられる。もし中央銀行が外貨準備を使い果たすと、固定相場制度を諦めて変動相場制度に移行せざるを得ない。また外貨準備を使い果たすと、マネーサプライは国内信用残高に等しくなる。このため外貨準備が枯渇したという条件を
と設定する。これにより
を得る。これはこの国の外貨準備が使い尽くされたという仮定の下で算出される名目為替レートでシャドー為替レートと呼ぶ。
ではシャドー為替レートを用いて投機的攻撃が発生するタイミングを考える。シャドー為替レートが固定レートに等しくなる時点をとすれば、
が成り立つ。これをに代入することで
を得る。したがって投機的攻撃は上式を満たす時点に発生する。
ここで重要なのは、第期において投機的攻撃が仕掛けられる時点では外貨準備はいまだ枯渇しておらず中央銀行は外貨準備を有しているにもかかわらず投機的攻撃を受けて固定相場制度を諦めざるを得なくなる点である。第1世代モデルにおける通貨危機の原因は
- 固定相場制度の維持する
- 規律を欠いた政府の財政政策を従属的な立場で支える
という矛盾した政策目標を追求することにあり、このような状況では経済のファンダメンタルズの悪化により投機的攻撃が必然的に生じるものであると示唆している。
10.4 通貨危機のメカニズムII:自己実現
1992年には欧州で通貨危機が生じた。当時の欧州通貨制度は通貨統合の前段階にあり、欧州通貨単位と呼ばれる加盟国の通貨バスケットを介して加盟国通貨間の名目為替レートを上下の一定幅内に維持する為替レートメカニズムを採用していた。しかしこれに参加していた英ポンドおよびイタリアリラが投機的攻撃を受けてシステムから離脱した。こうした状況の解明に向けて考案されたのが通貨危機の第2世代モデルである。
第2世代モデルでは、通貨危機の本質が、
10.5 通貨危機のメカニズムIII:伝染
1997年後半から1998年にかけて東アジア諸国が次々と通貨危機を経験した。ここでは一国が投機的圧力を受けたことで通貨危機が伝搬するような危機の伝搬が生じたと考えられた。
伝搬には
10.6 国際金融を巡る論争:市場の失敗と政府の失敗
世界各国で債務危機や通貨危機が生じる度に事態の収拾に奔走してきたのが国際通貨基金()である。
は債務・通貨危機などに見舞われた場合、融資や債務繰延交渉を行ない、コンディショナリティを挙げてその条件を呑む代わりに援助を行った。しかしの勧告に従った結果、却って事態の悪化をもたらした場合があったため、に否定的な見解も多い。
10.6.1 スティグリッツ・ロゴフ論争:市場の失敗か政府の失敗か
2001年には、情報の非対称性を軽視して市場の失敗を生じさせたとしてはを批判した。これに対して当事者として関わってきたは、政府の失敗がもつ問題の大きさが市場の失敗よりも大きいとして猛反論した。
11. 為替レートの理論と現実
11.1 実証研究の役割と必要性
経済はあまりに多重な要因が複雑に絡まっているため、詳細に至るまで寸分違わず完全に理論家・体系化することは事実上不可能である。そこで経済学では
- 実際の社会を構成する上で特に重要な役割を果たしていると考えられるいくつかの要因を識別する
- それら要素の因果関係(相関関係)を理論化・モデル化する
- 理論化されたものを現実のデータと突き合わせて整合性を検証する
という作業を通じて社会の本質に対する理解を深める。
11.2 金利平価に関するパズル
カバー無し金利平価およびカバー有り金利平価が共に成立するならば、フォワードレートと将来予想直物レートは一致するはずである。
そこで時点に予想した時点の直物レートと時点に実際に観測した直物レートを比較することを考える。すなわち
とおく。そして
というモデルにデータを当てはめてが統計的に有意か、そしての性質を考えればよい。
ほとんどの実証結果はを棄却し、特に米ドルベースの結果ではむしろに近いことが多い。これをフォワード・ディスカウント・バイアスと呼ぶ。
11.3 実質為替レートに関するパズル
購買力平価について、相対購買力
は成り立つ可能性があり、もしその場合、実質為替レートが理論的に一定であると言えることになる。そこで実質為替レートの攪乱項を含めた
を考える。もし相対購買力平価が成り立つならば、相場制度にかかわらず相場が理論値より一定以上に乖離すれば裁定取引が生じるために実質為替レートは大きくは変化しないと考えられた。しかし実データではそうとは言えない。これはの性質が変動したと考えられる。
そこで、簡略化したものだが、
においてが成立するか(すなわちがランダムウォークなのか)を調査する。1990年代以降、だがに非常に近いという実証結果が多く得られた。すなわち実質為替レートのショックは時間と共に解消されるものの、その解消測度は極めて遅いということが指摘された。
以上から、ブレトンウッズ体制以降の変動相場制の下での実質為替レートの動きの特徴は、
11.4 名目為替レートに関するパズル
名目為替レートは、理論的にはいくつかの重要な経済変数(ファンダメンタルズ)と関わっている。
そのような名目為替レートの構造モデルを評価すべく、
というモデルを考えた。ここでは自国および外国の予想インフレ率、は自国および外国の貿易収支である。このときの各パラメータに異なる仮定を置くことで、さまざまな状況を考察することができる。
これに対して全くもってファンダメンタルズを考えないものが
である。これは予測不可能な攪乱項でのみ翌期の名目為替レートが得られることを意味する。
これらを用いたおよびによる研究では、短期的な名目為替レートの予測では後者の方がパフォーマンスが良いという結果を得た。
これは短期的には名目為替レートがファンダメンタルズとは関わりを持たず独自に変動しているかのように見えることを意味する。この問題を名目為替レートとファンダメンタルズの分離パズルと呼ばれる。
11.5 国際金融の理論と現実
経済学理論が示唆する内容と実証分析結果には、容易には説明できない相違や乖離が存在する。
現在の経済理論が現実を完全に捉え切れないのは必然であり、実証分析を通じて如何にこれを改良していくかが重要である。
また理論に基づく予測と実証結果の乖離のみをもって経済理論および理論モデルが無価値だと結論付けるのは早計である。
モデルは現実世界の本質をある側面から捉えるもので、それ以外の側面は大幅に簡略化することがほとんどである。だからといってそれが現実を捉えないとは限らない。そのため、モデルを用いる際には、何を重要視し何を簡略化するかをよく考えることが必要になる。
そして何よりも国際金融理論は未完の学問ではあるものの、様々な考察や分析の土台になり得るため、これをきっかけに国際金融への思案を深めること。